8月18日付レポート「日本経済ウィークリー 賃金と物価の高環境に向けた正念場へ」より
中国の7月消費者物価上昇率が前年比-0.3%を記録したことなどを背景として、中国経済のデフレ化が懸念されはじめている。7月消費者物価の下落は、前年水準が高かったことの反動の影響を受けていることや、食品・エネルギーを除くコア指数は、サービス価格上昇の加速の影響などから6月に比べ上昇率が加速していることから、基調的なデフレに陥ったとみるのは早計である。しかし、グローバルにインフレ率の加速や高止まりがこれまで問題とされてきたのに比べ、物価の基調が他の国・地域と著しく異なっているのは事実であろう。
日本においても、コア(生鮮食品を除く総合)消費者物価上昇率が22年年末以降は前年比で+3%を超えた状態が持続し、インフレ率の加速が目立っている。その一方で、インフレ率の水準自体は、これまで欧米主要先進国が経験したものに比べ相対的に低位にとどまっているのも事実である。
2021年以来、世界的なインフレ加速が問題となった。その主因は、感染症禍からの経済活動再開に伴う供給制約、原燃料市況の高騰など、グローバルに共通する「コスト・プッシュ」要因に求めることが可能である。こうしたグローバルに共通するインフレ的なショックに晒される下で、相対的にインフレ加速が鈍かったり、デフレ的な状況が持続したりする地域が存在する理由は何であろうか。
日本については、長年持続したデフレの下で定着した企業の価格設定行動、消費者の値上げ許容度の低さ、中国についてはいわゆる「ゼロコロナ」政策解除後の需要回復の鈍さなど、それぞれ固有の理由から説明されるのが一般的である。
一方、敢えて共通する理由を一般化して見出すことも不可能ではないと考えられる。端的に言えば「高齢化の進行」がそれである。高齢化の進行をインフレ率抑制の原因として捉える具体的な背景は、「生活設計上、インフレよりもデフレが好ましく感じる世代の構成比が今後着実に上昇していくことが予見される人口動態であるから」ということになる。現役を退いた高齢世代は、インフレ加速の原因とも結果ともなりうる賃金上昇の恩恵に基本的に浴することができない一方、インフレ加速による年金収入や保有資産の実質購買力の減少にのみ晒されやすい、という図式から、インフレよりもデフレを選好する傾向を有すると考えられる。
インフレを望まない高齢世代の増加やその比率上昇そのものが、インフレ加速の抑制要因になる、などということがあり得るのだろうか。日本について、デフレや低インフレ長期化の一因としてしばしば指摘される、消費者の値上げ許容度の低さが、デフレや低インフレが商慣行や生活習慣として長期にわたり定着、浸透したことによってのみ生み出されたのではなく、そもそもそれを望まない者(の比率)が増加したことによって生み出されたとするならば、決してあり得ない話ではないことになろう。
より一般的に敷衍するならば、これまで日本銀行が日本におけるデフレ脱却の困難さの一因として指摘してきた、「適合的期待形成」を通じて現実の低インフレがインフレ期待を押し下げてしまう動きが生じた背景として、「集団的願望が自己実現する」かのような自律的メカニズムが働いてきたとみることもできる。「社会における多数派が望んだことが実現されやすい」結果として、長期にわたりデフレ的経済環境が持続したのであれば、日銀による積年の金融緩和が容易にはデフレ脱却に結び付かなった背景の有力な説明になりうるのみならず、同様の傾向が今後中国経済において生じる可能性を示唆するものともなるだろう。
野村證券 経済調査部長